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昨日、(12月25日) Human Stain を読了。実に難しい本だった。 英語自体はもちろん、登場人物の抱えている問題が多岐にわたりどこにテーマを絞り込んで読めば良いのか、さらにそのテーマが重く、私自身の拙い英語力では著者の意図を読み解くことは到底不可能では?と感じながらの読書だった。
映画版のタイトルから想像出来るように、黒人なのに外見が白人として通るほどだった、Coleman Silkが主人公のこの小説、人種差別のみではなく、老人の性愛、ベトナム帰還兵のPTSD、行き過ぎたpolitically correctness などたくさんの話を盛り込み、饒舌な文章で人間の心の闇を切り開く。 コールマンは成績優秀な高校生だった。いつも成績はトップ、おまけにスポーツにも秀でていて、ボクシングジムに通い、ユダヤ人トレーナーから白人のふりをして奨学金をもらって大学へ行くことを勧められる。 一度はその勧めを断り父親の望む黒人の大学へ入ったコールマンだったが、そこで目にした人種差別の激しさに愕然となる。その結果大学を辞め、白人として海軍に入ったのをきっかけに白人(ユダヤ人)として生きる道を選ぶ。 除隊後、ニューヨーク大学で古典文学を学んだコールマンは新鋭の教師として、Athena Collegeに採用になる。次第に教師としての力量を発揮しだしたコールマンは学長の後ろ盾もあり、学部長となり学部改革を強引に推し進める。停滞しきっていた田舎大学を、アカデミックな場所へと改革して行ったのだった。その為にたくさんの敵も作ってきた。 定年まで数年となったコールマンは学部長を退き、古典文学講座を教えていた。 そんなある日、つまらない事件で「人種差別主義者」というレッテルを貼られてしまう。 新学期が始まっても一向に授業に出てこない学生を、"spook"と呼んだのだ。 Dose anyone know these people? "spook"「幽霊」という意味のこの言葉には、もう一つ「黒人の蔑称」の意味があったのだった。「黒人の蔑称」としてはすでに誰も使わない単語で、コールマン自身差別用語だということを忘れていたのだけれど、その日のうちに彼は後任学部長から呼び出された。授業に出てこない学生のうち一人が黒人だったからだ。 この小説の舞台は1998年。この年は、当時の大統領クリントンがモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を糾弾されていた時だ。クリントンのホワイトハウスでの情事を引き合いに出しながら、「正しくあらねばならない」というpolitical correctness の風潮を著者は辛らつに皮肉る。まるで言葉狩りのように、意図していなかった言葉の意味を糾弾されるコールマン。 怒りに燃えるコールマンは断固大学と戦おうとするが、その戦いのさなか妻を亡くす。 失意のうちに大学を去ったコールマンを救ったのは、Faunia Farleyという無学で字も読めず、掃除婦をして生計を立てている34歳の女性との愛だった。インテリのコールマンとは対極にいる女性だ。 登場人物全てが深い心の闇を抱えていて、それはアメリカという社会が内包する汚点、しみのようだ。いや、アメリカに限らず、人間そのものが"stain"を撒き散らしながら生きていく存在なのだと著者は語っているように感じた。 動物保護施設へ、人間に飼われていたため自然界のカラスとは仲間として生きていけなくなったカラスに会いに行ったフォーニァの言葉がそれを表している。 "That's what comes of being hand-raised"said Faunia."That's what 特にこの小説の中で興味深かったのが、二人の女性の存在。片方はコールマンを糾弾する若き後任学部長のフランス人Delphine Roux、方やフォーニァは14歳までしか教育を受けていない無学な女性、二人は正反対な存在なのだ。 デルフィーンはコールマンが自分よりも大きな存在だということを敏感に感じ取り、屈辱感を感じていた。自分は誰より優秀であるべきだ、誰よりも完璧であるべきなのに、コールマンにかかると見透かされているように感じる。自分がこんなにコールマンによって心を乱されるのだから、コールマンも自分によって屈辱感を感じるべきだ、という思いにまでなってくる。狂気のようにコールマンを攻撃してくるデルフィーン。 フォーニァの方はというと、自分で「字が読めない」と宣言して最底辺の女性として生きている。14歳で継父の性的虐待から家を飛び出し、ベトナム帰還兵の夫の暴力から逃れ、子供を火事で失う。 人間が撒き散らす"stain"に深く傷ついてきたフォーニァは、全てのものをそぎ落とそうとしているかのようだ。最底辺に生きることによって心の安定を得ているのだろうか。 この一見在り得ないような恋愛関係は、相手が"stain"を拭い去ったフォーニァだったからこそ心癒される存在として成立したのかもしれない。 自分に足りないものを認めようとせず、相手を滅亡させようとする女性と、自分の持てるものを捨て去って心の安定を得る女性。正反対の二人の存在がとても興味深かった。 英語が難しく、おまけにたくさんの問題提起。とても読み込めたとは言えないけれど、すごい小説であることは確か。久しぶりに真剣に読んだ小説でした。 この小説の時代1998から10年。2008年、アメリカは熱狂的に黒人大統領を選んだけれど、人種差別は乗り越えたのかしら? 映画はこちら。↓
映画もなかなか評判がいいようです。今度見てみたい。 12月25日読了。 総語数、 ページ数、361ページ。 今日も応援いただけると大変うれしいです。 ↓ 人気blogランキングへ有り難うございました。 | ||||||||
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なかなか興味深い内容ですね。 |
リーブ URL 2008/12/27 08:44 |
昨日見たDVDが偶然「白いカラス」でした。 |
がばい 2008/12/27 11:59 |
映画が難解だと聞いているので、英語で読む原作はさぞ難しいのだろうと思っていました。でも読み終えられたということはすごいです!私はリチャード・イエーツの「家族の終わりに」をオリジナルで読み始めたんですが、どうもわかりやすい本ばかり読んできた私には難しくて。映画化されたようなので、「こんな話らしい」とレビューは読んだのですが、第1章、話が見えてこないし単語は知らないのから忘れたのから出てきてイライラ(調べるのを避けているので)お姉さまはこれより遙かに難しい本を読まれてきているわけで、本当に尊敬してしまいます。 |
Lily 2008/12/27 22:25 |
リーブさん |
リウマチばあちゃん 2008/12/29 00:49 |
がばいさん |
リウマチばあちゃん 2008/12/29 01:01 |
Lilyさん |
リウマチばあちゃん 2008/12/29 01:19 |
リウマチばあちゃん、こんにちは。(^o^)/ |
Super源さん URL 2008/12/29 13:15 |
Super源さん |
リウマチばあちゃん 2008/12/29 23:38 |
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